どうもrapizです。
フォーマルな挨拶状や賞状っていざ作ろうとすると難しいですよね。
文章の中身もそうなのですが、フォーマルな挨拶文や賞状は独自のルールがあります。
今日はそんなフォーマル文章のレイアウトについて書きたいと思います。
挨拶状や賞状に句読点がないのはなぜ?
句読点は本来日本語では使用されておらず、明治時代に学校で子どもが読みやすいように付けられるようになりました。
ゆえに、フォーマルな文章では受け取った相手を子供扱いしているとみなされ失礼にあたるので使用を避ける慣習があります。
同様に段落の最初にスペースを入れる字下げ(段落落とし)も、”読みやすくする”という意図で作られているため使いません。
この句読点ですが、誰かがやり始めてブームになったというものではなく、明治39年に文部省大臣官房圖書課の「句読法案(句読点法案)」からきております。
この法案、どんなものかというと
總則 編集
一、本法ハ文ト文トノ關係、文中ノ語・句・節ノ相互ノ關係ヲ明ラカニスルヲ以テ目的トス
二、前項ノ目的ノタメニ左ノ五種ノ符號ヲ使用ス
。 マル
、 テン
・ ポツ
」 カギ
』 フタヘカギ
三、マルノ符號ヲ除ク外讀誦ノ都合ニ依リテハ誤解ヲ生ゼザル限ニ於イテ本法ノ規定ニ拘ラズ符號ヲ省キ又ハ之ヲ加ヘ施スコトヲ得
という総則から始まりそれぞれの使い方や文例を書いています。
例えば“。“については
マルハ文ノ終止スル場合ニ施ス(符號ノ傍ニ ヲ附シタルモノ即チ是ナリ以下之ニ倣ウ)
例ノ一(述語ヲ正序ニ置キタル場合)
人が雨戸を明けて居る。
例ノニ(述語ヲ?倒シテ置キタル場合)
旗を持ちませう私は。
例ノ三(述語ヲ省略シタル場合)
生きて帰る者僅に三人。
といった感じです。
当時の文豪である芥川龍之介は「僕等は句読点の原則すら確立せざる言語上の暗黒時代に生まれたるものなり」と、この法案に対して反対をしていたようです。
文字サイズが混在しているのはなぜ?
「 私こと」「私儀」という文章、縦書きの挨拶状では文字サイズを他のものよりも小さくし、相手に関する記述よりも下に配置されるようにレイアウトします。
相手を敬って自分を低くすることで、相手に対しての敬意を示します。
具体的には、
拝啓 時下いよいよご清祥のことと存じます
私ことこのたび●●●への勤務を命ぜられ過日着任いたしました
という形になります。
まとめ
フォーマル文章は堅苦しいので敬遠しがちなのですが、なぜ?というルールがわかるとちょぴり親近感が沸くのではないでしょうか。
文章の中身だけでなく、句読点・インデント・文字サイズに至るまで相手に対して敬意を示すという日本語の概念は大切にしていきたい文化の一つですね。